OSHOタントラについて

12月5日(土)の大阪のタントラでは、タントラの美しいエネルギーの流れの中で、
身体とハートの感覚をさらに広げるかのように、
「タントラのマスターであるシヴァ神のマントラ」と
「日本の禅マスターである白隠のマントラ」等をシールのギターと共に皆で奏でます。。
特に白隠のマントラは、
この日のテーマである”Back to the BODY”にも繋がります。。
タントラは、いつも身体から始まる。
身体無くしては、宇宙の真理との繋がりも根無し草も同然な状態となります。
1日の流れの中でのほんの少しの時間ですが、お楽しみに♡
白隠について、ちょっと知りたい方のために、宝徳寺さんが作られている、白隠禅師の「坐禅和讃」のページの紹介〜☆
この中の、
『当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり』
この意味は、『ここが浄土で この身がそのまま仏なのである。』
と書いてありますが、OSHOの瞑想の中で良くいわれる『今ここ』の全てを表した一文だと思います。
この感覚を歌の中で味わいましょう。
自然に内側の静けさがやって来る体験となるでしょう。。
そして、さらにOSHOの素敵な白隠についての講話もシールがシェアしてくれました。
このOSHOのバースデイでのOSHOのサニヤシンに向けての講話。。。
シールが作ってくれた動画は、OSHOが白隠について話す講話の始まりの部分ですが、サニヤシンなら、かなり泣けます。。
そして、この動画を流していたら、これぞ私の好きなOSHOの世界!そしてタントラの世界だと感じる動画が流れて来たのでこちらのシェア〜☆

OSHOと共に

今日は、自分の為に書きたい事がある。。

私の人生には、大きく2つの変容の時があります。

初めは、スリーインワンとオーラソーマのファシリテーターとしてのトレーニングを修了した時です。

その頃、私はそれまでの人生と比べ180度違う人生観の中で生きている様になっていました。

「円が完結するとはまさにこれだ!!」と言う感覚と「宇宙の全ての仕組みが分かった!!宇宙の法則はなんてシンプルなんだ!!」確信が宇宙のビジョンと共にありました。(頭の中がビジュアル系なので)

そして、次の変容はOSHOとの出会いとOSHOのサニヤシンとなった時です。

比較出来ない話だけれど、こちらの方が、かなり大きな変容と喜びなのですが。。。

OSHOの事はスリーインワンを習っていた時から知っていて共感を持っていました。でも、周りの人達を見てサニヤシンにはなりたくないって思っていました。

そんな中、オーラソーマのアシスタントをしていた時に、「サニヤシンにはならなくても良いから、貴方もこういった(セラピストの様な)事をこれからして行く人なんだから一度、そこにいる全ての人が瞑想している場所を見ておいても良いんじゃない?」と、私のオーラソーマの先生からインドプネーにあるOSHOのアシュラム行きを勧められ、それに関しては心が動き、行きたい!と思った2週間後にはもう私はインドのアシュラムにいました。

アシュラムに到着するや否や、私のマインドを遥かに超えるOSHOとの出会いや、まるでジェットコースターに乗っているかのごとく、人々との出会いや体験が毎日毎日、次々とミラクルな大波が私に押し寄せ、「サニヤシンになる事の意味、それまでの自分のマインドの世界の小ささ」を肉体・精神・魂全てのレベルにおいて痛感し、マインドの理解を大きく超えた中で大いなる波乗リの連続がやって来た!!

更にトドメの如く、OSHOが私の目の前に現れ、「今まで死なずに生きて来たのはOSHOと出会う為だったんだ」と知り、その瞬間!迷う事無くテイクサニヤスを決意しました。

私のサニヤスセレブレーションの日は、瞑想キャンプ中の昼間に開催され、ブッダホールで全ての人がローブを着た状態で行われた。

それまで私は一度もサニヤスセレブレーションというものを、見た事も聞いた事も無かった。

その全てにおいて初の「サニヤスセレブレーション」で、私は生まれ初めて全身が揺さぶられるくらいの「嬉し泣き」を体験しました。

初めて、知り合いも無く一人で行ったプーナのアシュラムだったのに、知っている人も知らない人も、本当に沢山の人が「おめでと〜♪」と言って私にお花のマラを首に次々とかけてくれて、次々とハグしてくれました。

名前をもらった時から喜びで身体の中から熱くなり喜びが身体中を満たして、その後に多くの人々が自分の事の様に祝福してくれる中、人前で泣きたく無い私が、悲しみでは無く喜びが溢れて涙が流れていました。

気付いたら顔がほとんど隠れるぐらいのお花のマラが首にかかっていました。

嬉し泣きと言うものがそれまでの私の生きてきた世界では、嬉し泣きの存在が全く理解出来ないものだったので、この体験自体が「有り得ない〜!!」というものでした。

あの時の「この様な喜びがこの世にあるのかと思う程の喜び」は今も鮮明に蘇ってきます。

そして、、、わたしはその後の人生の中でも引き続き「生きてる喜びを沢山体験し、生きている喜びとは何かを知りました!!」

この時から始まった、「生きている喜び」が今の私の土台となっています。

1月19日はOSHO DEATH CELEBLATION DAY!

OSHOが肉体を離れた時のビデオは何度見ても、新鮮です。

タイトルは「I leave you my dream/私はあなた方に夢を託す」

昨日友人がこのビデオのYou Tubeにアップされているのを教えてくれた。それを今日見てこの日記が書きたくなったと言う訳。。。

日常を送っていると、周りの何者にも影響されないものは、果たしてどれだけ私の中に育っているのだろう。。?と疑う状況が繰り返される。

しかし、OSHOの姿と声を聞いていると、信じられないぐらいに簡単に現れるんです!私の何にも影響を受けない部分が!

常にアテンションを欲しがる家族の中で、その部分に触れる時間は本当に少ない!

しかし、OSHOの姿と声が私の前に現れた瞬間!

まず、呼吸が深〜〜〜くなり、焦点が定まり、、、身体全体を覆う空間が別の場所へシフトし、、そして、

例えば、何よりも愛しく可愛く24時間抱っこしていたくなる可愛いナオちゃんが私の身体に必要以上に引っ付いていて来ても、どんなに騒いでいたとしても、大きな悩みが目の前にあっても、怒りの中にいても、外側の事そして感情の影響を全く受けず、全く静かで愛に満ち溢れ、感謝と喜びしか存在しない神聖な部分に触れ続ける事が出来ます!!

この感覚!勿論今までに何度も体験しているのですが、とても不思議な事にいつ何度体験しても新鮮でピュアな感覚なんです。

そして、日常の何もかもが全く影響しない世界を、多くの友人と共有出来る事もまた大きな喜び。

全く個人的で自分一人だけの世界なのに、何故が人と共感共有出来る世界。

勿論、誰も共感する人がいなくても,全く孤独を感じる事の無い世界でもあります。

そんな世界が、OSHOサニヤシンの世界かもしれないと、今日「I leave you my dream」の映像を見て思いました。

今取り組んでいる多くの事も、この世界を共に共有したいと思っているからかもしれない。。

そして、また、その世界から離れている日常を感じ、自分自身への謙虚さと共に瞑想する訳です。。

いつも、ごめんなさい。。。

そして、いつも沢山の存在と慈愛をを有り難うございます!OSHO~~~~~♡

Never Born Never Died OSHO

(本来、ここにI leave you my dreamの動画が貼付けてあったのですが、著作権の関係で映像が削除されていたので、同じ題のoshoソングの映像を付けておきます。I leave you my dreamの映像を見たい方はご連絡下さいね)

Osho – Never Born, Never Died