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節分

今日は、旧暦のお正月、そして節分、そして新月、そして明日は立春!

その上、先のブログに書いた様に、今夜遅くにエンジェルがタリカの所からやってきます。

節分のお願いに、新月のお願いに、天使へのお願い。。

なんだか、一気に重なるな〜。。。

今年に入ってから、何にも無いなのに何も出来ない日々が続き、何かある時は色々イベントが重なって、参加したくても既に入っている予定で参加出来ないって言う事が多い。。。

ONとOFFが極端な年なのかしら。。。?

と、いつも告知が多い日記だけど、久しぶりに個人的な日記も書いてみよう!

今日は、節分だったので、近所のお寿司屋さんに昨日から注文していた、ただの恵方巻きじゃなくて、めでたく奮発した海鮮巻きと、なおちゃんの好物のお新香巻きを買い物帰りに取りに行った。

で、急いで帰ったら、既にアマラナ君帰宅は帰宅しており、急いで、汁物とイワシのムニエルを作った。

準備が完了し、やっぱ、まずは豆まきして家を清めてから、お願いしながら巻き寿司にかぶりつくと良いよね〜と、今日のイベントの段取り通りに始めようとした瞬間!

下を見ると、ナオちゃんが勝手に自分用の巻き寿司を出して、既に口にほおばっていた。

あ〜〜〜ん、豆撒きしてからやん!!

って思ったけど、しゃべらずにちゃんと南南東を向いて食べていた。

まあ、ナオちゃんはお新香巻きなのでもう一つあるし、それを一緒に食べたら良いわ!と思って、早速豆まき開始!!

鬼は、やっぱりアマラナでしょ!!

アマラナがちょっと嫌がっていると、既になおちゃんがアマラナに攻撃を始め出した☆

もうそしたら、アマラナ君がやるしかない!

「鬼は外〜〜」となおちゃんその言葉気に入って、連呼する!

そして、いつも物を投げたら怒られるのに、今日は豆の代わりの袋に入りの豆のお菓子を投げれるとあって、もう大喜び!!

楽しく、「鬼は外、福は内」を最後にはアマラナ君もやって、皆でお家のお清め完了!

そして、次は恵方巻きの儀式。

なおちゃんに「しゃべったら駄目よ。お願い事しながら食べるんやで」「なおちゃん、お願い事ある?」って聞いたら、

ハッキリと「ない!」だって。

ホンマ、常に完結して生きてるんやね〜、願い事無いのか〜、良いな〜。

それでは、と、皆で南南東に調度飾ってある「OSHOの写真」の方を向いて、お願いを決めて食べ出しました。

そしたら、さっきは静かに食べてたナオちゃんが、「お〜願いし〜ますう〜」とか言って、ポイントを押さえた言葉を常にしゃべりながら食べてる。。

ホンマ、可愛い!!

そして、最後はイワシのムニエルでご飯を食べました。

今年は、節分定番アイテムを制覇する事が出来た〜。

その後も、ずっと豆まきをしたがるナオちゃんでした。

って事で、今日の儀式は満足です!

さて、次は新月のお祈りね!

最近の日々

子育て中の毎日は、なかなかPCの目にゆっくり座る時間が作れない毎日。ちょっとした文章を打つのにもかなり時間がかかってしまうので、ちょっとした空き時間に日記を書く事も出来ず、日々の優先順序の高いものをこなす事でもういっぱいいっぱい。。。。

でも、このブログのテーマにしている、私の中にある「シンプルに元気に生きるツール」についてまだほとんどブログ記事には出来ていない。。

書きたい事は沢山あるので、その辺りが不完全燃焼しつつ毎日やってくる新しい事で流れていく日々です。

なので、出来ることを一つ一つこなしていく事で、新しい展開が広がる事を祈りながら、過ぎ去った事もまだ記事に出来ていない沢山の情報もゆっくりペースで追々ブログに書き足して行けたら良いなと思っております!

最近までTAOのイベントが続いていて、やはりナオちゃんには多少の負担をかけていたので、大人時間から、子供時間にペースを戻してあげようと張り切ったら、昨日風邪を引いてしまいました。

昨夜は、レメディとって、みかんを食べて、生姜入り梅醤番茶を飲んで、19時に寝て、それで今朝は熱も下がって全身の寒気と痛みもなくなりました。

風邪にはやっぱり早寝ですね!

めちゃくちゃ良い天気だけど、今日はゆっくり家で過ごすので、少しはブログも書こうとこれを書き出した次第ですが、PCの前に座ると過ぐにナオちゃんの「やめて~!!」攻撃にあうので、つぶやき並みの内容しか書けないのでした(-_-;)

ゴメンネなおちゃん。。。

ここから。。。

8月31日は、私の誕生日!

その上、13の月の暦では「赤い月の蛇」の日で、音は違えども私の紋章とも重なった日でした!

いつの日か、「正月やXmasとかって言ったって、誰かが決めたイベントの日だし、その日が過ぎれば、何事も無かったかのような日常が始まるし、ただのいつもと同じ1日やん!」なんて思って、20代までは入っていたと思われる気合が無くなっている!

でも、誕生日はまだそこまでには至ってなかったんだけど、今回の誕生日は、全く何の気合いも無い、いつもの1日の感覚で1日が過ぎた。。

とうとう。。誕生日まで気合いが入らなくなちゃった~。。

これは年のせいか、それとも私の中で何かが変わっているか。。

今までの誕生日って、結構楽しくない日になる事が多くて、誕生日に「幸せだわ~」なんて思えず、何だか悲しくなる誕生日が多くて、結構誕生日が来る事に30代半ばぐらいまでは身構えたりしていた。

今年の誕生日は、悲しみは無いけど、そんな普通の1日と同じ感覚の中で迎えて、家庭内は問題山積みのままで、誕生日だから外でご飯をと言っても、そのお金自体が私の貯金から出て行くわけで、かえって自分で自分の首を絞める結果となるので、あんまり外食を喜べない状態。

なので、やっぱ、いつもの1日として流れた日でした。

ただ、こんなに気合いの入らない誕生日なのに、お祝いメッセージは本当に多くの方から頂きました。

こんなに沢山頂いたのは初めての経験です!

皆様、本当にありがとうございます!

皆に支えられて私は生きてるんだと実感しました。

愛のある方々に囲まれて、これ以上に感謝する事があるのかと思いました。

それに家族もみんな一応健康だしね。

ナオちゃんはいつもと同じく24時間めちゃくちゃ可愛いオーラを出しまくって、絶えず愛しさで胸キュンキュンさせてもらって、やっぱこのことで満足仕切れていない私は傲慢なのかも。。。

それもその内、落ちていくのかな~。。

たかしっちの日記からですが、31日から「種のWS」が始まるらしい。

もみじ種のWSもみじ

キーワードチャペル開花の力チャペル

個人の夢(目標)を超え、集団の夢(目標)を実現化していく
サイクル。個人の活動が活発になることで、集団の活動と
相互作用し、時間の流れ全体が変化していきます。

とってもタイムリーなメッセージです!

何だか、良い感じを感じつつも、特に目標とかは立てずに今目の前にある事を形にしていけるように取り組んで行きたいと思っています!

で、大きくまとめとして、、なんて素敵な誕生日なんでしょ~。

LOVE

私が結婚を否定した理由

小学生の頃から、結婚したら人生はそこで終わりだと確信していた。

だから結婚式と言うのは、「お葬式」も同然な儀式なので、何もめでたい事は無いと思っていた。

でも、人と言うのはいつかは結婚しないといけないんだと小学生の頃は思っていたので、「どうせそこで人生が終わるんだから、出来るだけ歳を取ってからする方が賢明だ」と考えていた。

子供に関しては、「母親は私を本当には愛してなったら、無責任にこんな苦しい世の中に産むだけ産んで、知らんぷり。」「私は、自分の子供が何よりも大切で可愛いから、こんな何も良い事の無い世の中と分かっている中に、産みはしない。私と同じ様な思いを、可愛い我が子にさせたくないから、産まない」と思っていた。

でも、子供に関しても結婚同様、人と言うのは生きていて結婚したらいつか子供を産む日が来るとも、思っていた。

だから、子供の事がなかったら、結婚はやりたい事を自由にやりつくして、56歳とか60歳でしたら、一番理想的な人生になるのにと考え、どういう風にするのが良いかな~とよく思案していた。

その頃、ノストラダムスの大予言で「1999年に地球は滅んで、ほとんどの人が一瞬で塵のように消える」と言う情報が入ってきたので、その情報を信じると言うわけでもないながらも、それを基準に人生設計をした。

「子供は何となく産みたい気がするから、結婚を出来るだけ遅くしながらも子供と過ごす時間も少しは持ちたい。でも、1999年で可愛い我が子がいくら生きる事を望んだとしても一緒に死んでしまうんだから、一番可愛い時に一緒に消えよう。とすると、結婚は1996年にして直ぐに子供を作ろう。」と言う計画にした。

このノストラダムスの予言の採用に関しては、幼い頃から自殺願望が常にあったから。

実際、1999年には何も起こらなかったけど、「結婚式=お葬式」の考えは顕在だった。

でも、子供に関しては、24歳頃からスリーインワンやオーラソーマにより、色んな角度から感情が解放されて、私の人生が辛かったとは言え、子供も同じ人生とは限らないし、私が今生き方を変えたら、子供の人生も変わる。それに、子供の人生は子供の人生であり、私のものでは無い。などと言う風にその頃既に認識が変わっていた。

だから、子供を産みたくなったら、子供の為に結婚するしかないな~と思って、結婚や出産に関して自由に選択できる世界に変わっていた。

しかし、29歳でサニヤシンになって、はじめて関わったサニヤスの世界には、結婚・出産は愚かな事と言う風潮が強かった。

そこにいると、スリーインワンやオーラソーマで意識が変化した事の方が嘘の世界だったかもしれないと、それまでに起こった自分の意識の変化を疑うようになっていた。

そして、幼少期からの結婚観や子供に関する考えが、やはり正しい物の見方だったんだと言う風に考えるようになった。

「今生では、結婚も出産も体験せずに終わる。それが正しい道だ」と言うのが基本になった。

その世界に関わって6年。私の身体は崩壊し、免疫力がどん底にまで落ち、白血球が3000代となり、血液データーだけ見ると「再生不良性貧血」の患者のような値になり、全身から汁は出るは、大きな湿疹が体中に出るは、精神的にも普通なら何とも無い人のしぐさに、身体が硬直したりしてしまうまでに、崩壊した。

そこまで落ちて私は気付いた。

ここは私のいる場所ではないし、ここには瞑想は無いし、これはOSHOの言うサニヤシンの世界ではないと。。。

6年は長かったが、そこを離れる事は一瞬で決断し、決断後はもう自分を誤魔化す事は一度も出来ず、そこから離れた。

離れた瞬間に、初めに身体にやって来た感覚は、「子供を産みたい」と言う感覚だった。それには自分でも驚いた。

しかし、今更、子供は難しいし、結婚はやはり無駄な事としか思えなかったから、やはり必然的に子供を持つ事はないだろうとストレスでは無く自由の世界から考えていた。

今後は、どん底から私を救ったタントラ瞑想の道・自己探求の道をセレブレーションしながら、ボーイフレンド=パートナーと言う自然な形で関係性も探求して行こうと、本来自分が歩みたかったOSHOの瞑想の道を歩みだした。

幼少期の自殺願望

別にめちゃくちゃ辛い事が人生に起こったから自殺したくなったわけではなく、ただ「生きている事が退屈で、毎日何の為に生きているのか?毎日何も意味も無く日々が積み重なって時が経っていく意味が分からなかった」から。

私が育った家庭では宗教が普通にあり、おばあちゃんが先生と呼ばれ、色んな人が我が家にお参りに来ていた。その宗教は、法華経だった。その中で、「輪廻転生」の考えは普通だった。

この全く失敗としか思えない人生。

保育園が人生で一番最悪!

保育園に行った事から、私の人生は更に最悪になったといえる。初めのステップで私は大きくつまずき、その痛みをずっと抱えながら18まで生きた。

家庭にも居場所はどこにも無いし、外へ行った所で、学校にも居場所が無い。

この身体はどうかと言うと、小さい時からアトピーで、いつも身体にカユミがあり、ステロイド使用や仲の悪い大人達の感情が複雑に絡み合い、その中でのいつも潤滑油の役割を唯一の子供の私がしないといけなかった家庭環境にいる事等、免疫力を下がる要素が多くあり、子供時代に一般的に味わえるはずの身体と繋がり、身体にいる事の快適さ等は全く体験が出来ずに、常に身体の不調やかゆみで体力も無く、身体がある事でいつも友達と身体を使って楽しむ事は出来ずに、身体があるお陰で人生の辛い思いを、更に多く体験するしか無い幼少期だった。

外から見るととても馴染んで、友達もいて楽しく生きている様に見えたと思うけれど、何処にいても自分がくつろげる居場所は無かったし、心を本当に打ち明けられる人は、勿論何処にもいない。

特に辛かったのは、同世代の周りの子供達が、子供っぽ過ぎて、どうしてそこまで幼稚な状態で皆いられるのかが理解出来なかった事。

その結果、やはりこの世界には居場所が無いとしか思えなかった。

まあ、つまり、私は子供時代を子供として過ごせなかったので、成長を重ねて大人になるという事もこの肉体を持ち人間として生きる世界では困難であった。

なので、こんな世の中に生まれて来ても、辛い思いしかする事の無い世界に、無意識に子供を作って、私がこんなに辛い思いをするかもしれないという事は全く考慮する事なく無意識に私を産んだ母親は、本当には私に対する愛情が無いから私をこんな世界に産む事が出来たんだと、よく考えていた。

母親にも実際に言ってたし。。

だから、私は自分の母親と違って、子供に対して本当の愛情があるから、こんな辛く何にも有意義な事も楽しい事も無い世界には子供は産まないって、スリーインワンやオーラソーマそしてoshoの世界に入る以前までは、強く決めていた。

まあ、そこまでの幼少期の辛い体験が、スリーインワンやオーラソーマをする中で癒され、多くの気付きや理解が深まり、さらにoshoと出会い更に自己探求へのワークを深めて行くきっかけとなっているのだけれど。。

自殺への流れの話題に戻ると、3歳の頃しんどかったし、4歳の頃「こんなに長生きするとは思っていなかったな~」って思ってたし、この人生の結論はもう出ている。だから、早く死んで、次の生を生きる方へ早く軌道修正した方が正解だと確信していた。

この人生は時間無駄だと!

でもその宗教では同時に、「自殺をしたら自殺した本人ではなくて、残された父や母や兄弟に、私の自殺の罰が及ぶ」と言う考えがあった。

10歳の頃、「こんなに長く行き過ぎたと思ってからもう6年も経って生まれて10年になってしまった。」と思った。自殺願望は、この頃ピークだった。「早くしないと、無駄な時間だけが過ぎてしまう」と言う焦りもあったので、良くベランダを乗り越えて屋根の上に上がったり、2回の窓の淵に登ったりして、飛び降り自殺を試みていた。

何故かいつも自殺の方法は飛び降り自殺だった。

だけど、この自殺の罪がお父さんやお母さんなど残された人に及ぶのは嫌だった。

この事が気になって、いつも飛び降りれなかった。

10歳が過ぎた頃、新たな考えがやってきた。

「こんなに、何度もチャレンジしているのに、なかなか死ねない。でも、この人生に意味が無いことは明らかだ。意味の無い人生を人が生きるはずが無い。って事は、私が自ら自殺をチャレンジしなくても、その内当然死ぬはず!だから、それを待つ事にしよう。」

って、言う考えで日々を送っていたら、17歳まで生きていた。

「あれから、7年も過ぎて17歳になってしまった。一体いつ死ぬ時が来るんだろう?」

って、思っていたところに、ノストラダムスの大予言と言う1999年に地球が滅びると言う情報がやって来ていたので、「まあ、仮にそこまで生きていたとしても、そこで必ず死んでそれ以上は生きる事は無いから、それに一か八かかけて見よう」と思って、高校の卒業文集には、その事を書き綴った。

先にも少しかいているけど、何故、こんな幼少時代だったかは、25歳を過ぎてからスリーインワンのセッションを中心に、理由が次々と明らかとなり、何度となく開いたファミリーコンステレーション(家族の座)では、先祖から伝わるものまで明らかとなり、現在はもう座を開いても、それに関する事は出てこなくなっている。

後から振り返って気付いた事だが、

私が死ぬは予定だった29歳、

私は、OSHOのサニヤシンになった。

そして、今までに何度も死にたいと思って来たけれど、本当にあの時死ななくて良かった。

生きてて良かった。

産まれて来て良かった。

生きているだけで喜びなんだと、生きている喜びを沢山体験し、それまでの人生では全く理解出来なかった、嬉し泣きと言うものを沢山体験する事となった。。

私の道

私が奇跡的な流れの中でOSHOの弟子となり、もらった名前は、ma  jivan  dhyani.

jivan=life  dhyani=one  who  loves  Meditation

なのだが、このjivanというミドルネームは、一つのカテゴリーみたいな感じで、同じミドルの人達は、何かしら似かよった印象がある。

で、この前妊娠中にインドのOSHOのアシュラムへ行った時に、友達が「jivanって、この道って感じで決まった瞑想の道を行く感じじゃなくて、実際の生活の中の事を通して、自分の瞑想を深めて行く人達だよね」って言われた。

それを聞いた時、何かがスコ~ンとふに落ちたと同時に喜びが込み上げてきた。で、jivanと言う同じミドルを持つ友人も、きっとこの事を聞いたら喜ぶだろうと言う確信があり、直ぐにこの情報を伝えたら、案の定、彼女も「気が楽になったわ~」と、とても喜んでいた。

 

about meに書いているように、私には沢山の関心ごとがある。これだけ見ると「さすが、赤い蛇だけの事はあって、色んな情報を集めるのが得意だね!でも一体どれが一番大切なの?何処へ向かっているの?」ってな感じの印象を持つ人もいるだろう。

また、今までにしてきた仕事に関しても、どの仕事ももう一度同じ職に付く気が全く無い。

これに関しては実際にも周りから良く「もったいない!もう一度やったら良いやん!」てな事を良く言われる。

私には本当に、全く何が、どの辺が『もったいない』のか分からない。何故、そういった事を人は言うのか分からない。だって、もう終わったことだし、次の事を見ているのに終わった事をする気になるわけ無いやろ!って思っている。

これに関しては、占星術で見てもらったら、『0か100』の世界の星の元に生まれているらしい。その上、『0か100』の世界の要素が沢山重なってるそうだ。

この意見が何よりも一番納得する。

別れた彼氏と友達に戻る事はあっても、もう一度付き合う事はまず無いし、今までにしてきて今やって無い仕事は、もう終わった仕事。人であっても仕事であっても、トータルに思い残す事無く満足するまでやり通したから、何の心残りも無く終わりである。

だから、どの仕事やセラピーも、これと思ったものは全てプロ級になって、実際に仕事として成果を出して、今だ!と言う時が来た瞬間に辞めている。

まさに全てが『0か100』

私は、当たり前に事としてやってきたけど、こういった星の下に生まれた個性の一つだったのね。だから、周りの人が感じる「もったいなさ」的な感じ方もこの世にはあるのだと、この占星術からの情報を得て理解できた。

でも、私の中では、全くあっちこっち向いている感覚は無く、最後にはすべて一つに繋がっていると言う、根拠の無い確信がある。

それも10年後ぐらいに、一つの世界にまとまっている予感がする。

一見、寄り道ばかりして、引越し貧乏的な印象を回りに与えていたとしても、私はしっかり目指すところへ進んでいると確信している。

しかし、私自身でも時々驚くぐらいに、興味のある情報が山のように押し寄せてくる瞬間がある。

情報が来て全て関われたら良いけれど、今一番大切なのは「子育てと家事」それが出来てから次のことをやる生活であるし、金銭的にも一人で生きている時の様には、お金を動かせ無い状況である。そして子育てだけでも体力が入るのに、それ以上に動くには今は体力が無さ過ぎる。でも、だからってしたい事を放棄するのも違う気がする。なので、やれる事はちょっと無理をしてもやってみている日々。

この事に関して、こうやってブログに書いてみるのは、欲しい情報が次々にやって来るが、色んな意味で体力が無い状況の中、本当に次々手を出して良いものなのかとちょっと自分でも疑いが、脳裏をかすめたから。

しかし、おとつい、「非電化イベント」と言うのがあり、何かに押されるように参加した。ここには、私の望んでいた世界が現実に手に入るかもしれないと言う情報がまさに手に入ったイベントだった。

このイベントに参加するきっかけは、アースデイ→大好きなヘンプコットンの服を買う→手持ちのお金が無く、送料をケチって後日その服を直接お店に引き取りに行く→店のオーナーと共通の知り合いがいる事で繋がり、原子力問題のある祝島の映像のイベントを知る→非電化のイベントを知る→まさに望んでいたエコや健康住宅の世界が身近となって広がる。と言った感じ。

この非電化イベントに体調が悪くても参加できたのは、その前に月曜日に「シータヒーリング」を受けたからかもしれない。シータヒーリングとの出会いも、今書いたようなシンクロが重なって起こった出会いだったし。

エコや、健康住宅は、地球や自然環境と繋がり、そして子育てや子供を育てる環境やその母親の健康と繋がり、母の健康的な子育てや出産は今までしてきたセラピーや瞑想、そしてこれから手がけるタオ気功と繋がる。

色んな事に関心や興味があるが、全て私に必要なことばかりで、やっぱりいつかまとまる時が来る事だろう。。

それまでは、今の様に混沌とした日々をグランディングしながら、積み重ねていくしかない。

思い出す、昔、スリーインワンのトレーニングの中で「この世に生まれてきた目的を表す3つの構造機能」を調べた。

その時に出たのが「エネルギーの持続性」「強烈な感情」「肉体性」(この表現は私がスリーインワンを仕事にしていた時の表現で、現在は別の表現に変わっているかもしれません)だった。

後にも再受講の時などに生まれて来た目的をあらわす構造機能を何度か調べたが、「エネルギーの持続性」「強烈な感情」の2つはいつも選ばれていた。この2つは特に自分を客観的に見たときに、納得の行く構造機能である。

今回書いた、一体何に向かっているのかと一見思わし、寄り道をしているように行動しながらも、実はもっと長期な目標に向かって必要なものを体験しながら進む人が「エネルギーの持続性」の人なのです。なので、やっぱ、今思ってもこの情報は私にとって、納得の行く情報の一つなのです。

この事もあって、最後は一つにまとまると言った根拠の無い自信があるのかもしれない。

まあ、これを読んで、「あ~なるほど~、DHYANIはこういう人なのか~」って思う人はかなり、スリーインワンの構造機能について長期に渡り深く学んだ人だけでしょうが。。

この文章自体、あっちこっちへ飛びまくってるような流れで書いてしまったけれど、まあ、つまり、一体何処へ向かっているのか、側から見たら分からない感じで進んでいる私の人生自体が、jivanの道であり、一筋の光の道である。