OSHO講話:魂がうまれるとき

ゴパルのグループで私達が体験するもの、タントラ、無極功やタオの世界、全てに繋がりを感じるメッセージを友人のSheelがシェアしてくれたOSHOの講話から頂きました。。。

『緑の樹を見つめているだけで、
活気がみなぎってくる―
まるですべての樹液が
あなたに向かって流れてきたように。
樹のジュースが
あなたの実存に入ってきたかのように。

月を見つめていると、
あなたは驚くだろう―
酒やその他のドラッグで
酔っぱらう必要はない。
月で酔うことができるのだ。
その方法を知っていれば、
月は大量のエネルギーを返すことができる。

古代インドの『リグ・ヴェーダ』には、
ソーマのことが書かれている。
科学者たちは、
ソーマはLSDに似たものだと考えている。
科学者たちは、
ソーマというのは気候の変化か何かで
ヒマラヤから姿を消した、
ある種のキノコに違いないと考えている。
あるいは絶滅したのではなく、
人々に忘れ去られてしまっているだけ
なのかもしれない。

今もヒマラヤの深い谷のどこかに
生えているのだが、
私たちはその正体を
すっかり忘れ去っているだけなのかもしれない。
ひょっとすると古代の賢者たちは、
それが危険すぎることがわかったために、
意図的に人々の記憶から
それを消し去ろうとしたのかもしれない。

オルダス・ハックスレーは、
ソーマは究極のドラッグであり、
将来、究極のLSDが発見されれば、
再びそれは
「ソーマ」と呼ばれるようになるだろうと言っている。
だが、
あなたはソーマというサンスクリット語が
月の別名であることを知って驚くだろう。
だからヒンドゥ語では、
月曜日は「ソムワラ」―
月の日―と呼ばれる。
ソーマは月の別名だ。
それはキノコでも、
LSDのようなものでも、
ドラッグでもない。

それは月と霊的交流に入るための秘術だ。
ちょうど海が月の影響を受けるように、
月からエネルギーを得ることができたなら、
あなたは驚くだろう―
大いなるジュース、
大いなる甘露が降り注いでくる。
あなたはいかなるドラッグで
酔っぱらうこともなく、
酔いしれることができる。

月はあなたの実存の
まさに中核にまで
影響を与えることができる。
それはあなたをひそやかで、穏やかにする。
それは月が女性的なエネルギーだからだ。
愛する女性を抱擁すると、
たちまちあなたは
深い静けさと穏やかさが湧き起こるのを感じる。
月からエネルギーが返ってくるときには、
それとまったく同じことが
より大きな規模で起こる。

太陽が男性原理であるように、
月は女性原理だ。
月は<陰>であり、
太陽は<陽>だ。
月は母のようにあなたを慈しむ。

ヒマラヤの谷間に
キノコを探しに出かけなくてもよい。
そのキノコはいつも天空にかかっている。
それは月だ。
ただあなたはどうやって月から
エネルギーをもどってこさせるか、
その秘法を習わなければならない。

月から、
そして太陽からも
エネルギーを得る秘密の技法が伝えられてきた。
太陽崇拝は、
ある技法から生まれたものであり、
巨大な太陽の神殿が建てられた。

コナラックの太陽の神殿は、
まさに太陽への感謝を表すものだった。
それはたんなる礼拝ではなく、
いかに<陽>のエネルギーを取り入れるかという科学だった。

特に女性は太陽のエネルギーを取り入れるとよい。
隠され、眠っている
<陽>のエネルギーが活性化するからだ。
男性は月のエネルギーを取り入れるとよい。
眠っている女性原理が活性化し、
再び動きはじめるからだ。
女性は太陽を礼拝するといいし、
男性は月を礼拝するといい。

だが、
その礼拝は
ただの儀式であってはならない。
それはこのような技法でなければならない。

光を輪のように巡らせると、
天と地、光と闇のエネルギーは
ことごとく結晶化する。

「光と闇」は、
男と女、軽さと重さ、
恩寵と重力、生と死、
運動と休息を象徴している。
これらすべてが
「光と闇」で表されている。

ひと言で言えば、
エネルギーが輪のように巡れば、
あなたはだんだんと自分が
男なのか女なのかわからないようになる。
外向性は<陽>の原理であり、
内向性は<陰>の原理だ。
男には自然に外へ向かう傾向があり、
女には自然に内に向かう傾向がある。

愛を交わしているときでさえ、
男は目を開けたままでいる。
彼は見たい。
男は覗くのが好きだ。
ポルノが現れるのはそのためだ。
ポルノに興味をもつ女性はいない。
女性はそれに意味があるとは思えない。
恋人と愛を交わしているときでさえ、
女性は目を閉じている。
女は内向的であり、
彼女のエネルギーは内側へ向かう。

だが、
そのエネルギーは輪にならなければいけない。
輪にならないかぎり、
人は男か女であり続ける。
だが、
どちらも半分であり、
同じ全体なるものの半身だ。
互いに相手に惹かれ、
相手を必要とするのはそのためだ。

いつかエネルギーを
輪のように巡らせることが
できるようになれば、
あなたは相手の男性や女性を必要としなくなる。
なぜなら、
みずからの内なる男性と
みずからの内なる女性が出会い、
互いに溶け合っているからだ。

あなたは全体になる。
そして全体(ホール)であることが
神聖(ホーリー)であることだ。
全体であることが神聖であること―
これがタオであり、
そしてこれはタントラでもある。

光を輪のように巡らせると、
天と地、光と闇のエネルギーは
ことごとく結晶化する。

カール・グスタフ・ユングが
「個性化」「結晶化」と言っていたのはこのことだ。
ゲオルギー・グルジェフが「自己の誕生」
あるいは「魂」と言っていたのはこのことだ。

あなたは通常は断片にすぎない。
あなたはたくさんの自己を持っている。
単一の”私”はなく、たくさんの”私”、
小さな”私”をもっている。
しかもそれらがみな支配権を握ろうと、
互いに闘い、競争し合っている。

人間は複数だということ―
それが人間の惨めさだ。
自分がたくさんいたら、
どうして安らぐことができるだろう?
ある部分が「これをやれ」と言い、
別の部分が「いやだ」と言い、
また別の部分が「もっと他のことをやれ」と言う。

どれに従っても後悔することになる。

なぜなら、
それに従いたくない他の部分が
問題をつくりだすからだ。
「おまえは道を間違えている。
別の選択をしていた方が
はるかにましだった」
と他の部分がしきりに言い続ける。
「俺についてきたら、
もうたどり着いていたのに。
見ろ、
おまえが耳を貸さなかったせいだ」

だが、
その部分に耳を傾けていたなら、
また別の部分が反撃に出ていただろう。

人間はけっして満足しない。
満足することなどありえない。
それは人間が複数だからだ。

ひとつになれば、
満足はおのずと湧いてくる。
あなたが複数いるなら、
不満足はやむをえない。
あなたが複数いるなら、
葛藤の絶えない人生になる。
ひとつであれば、
葛藤は消え失せる。
あなたは我が家に帰り着いている。

道家の人々が
「結晶化」と呼んでいるのはこのことだ。
それを達成する技法は、
あなたの<陰>と<陽>が
もはや分離していないように
光を輪のように巡らせることだ。

光はまさに
呼吸のごとく動かなければならない。
息は出ては入り、入っては出てゆく。
あなたは息を吐き、息を吸う。
息を吐いてばかりいる人を
思い浮かべてみるがいい。
彼は生きてゆけなくなる。
彼の肉体は死んでしまう。
あるいは息を吸ってばかりいる人を
思い浮かべてみるがいい。
彼もまた死んでしまう。

だが、
これこそまさに
あなたの魂に起こっていることだ。
あなたの魂は死んでいる。
光を吐き出すか、
光を吸い込むか、
あなたはその片方しかしていないからだ。
まだあなたは吐くことと吸うことが輪に、
ひとつのプロセスに
ならねばならないことを学んでいない。
深く吐き出し、
深く吸い込みなさい。

肉体の生命にとって
呼吸が必要なように、
魂には意識が必要だ。
だから意識を半分のままで
放置してはならない。
輪を完結させなければならない。

女性はいかにして
男でもあるかを学ばなければならない。
男性はいかにして
女でもあるかを学ばなければならない。
そして男性と女性が
等しいバランスを得るとき、
男女のバランスが完全に取れるとき、
それが結晶化、個性化であり、
魂が生まれるときだ。』

Osho – The Secrets Of Secrets

広告