水の偉大さ!!

今日、『WATER(ウォーター)』と言うロシアで作られ、ロシア国内では300万人の人々が視聴された自主上映映画を見てきました。

「“ウォーター”では、目を見張るほどに美しい映像の数々によって、地球上の水のさまざまな姿が映し出されていきます。
そうした水の映像に加えて、総勢23名の科学者や研究者、宗教者が登場し、実験結果や人生体験、直観的な叡智などに基づいて、「水の神秘」「水の新しい科学」が語られていきます。

専門の研究分野や所属している宗教宗派はそれぞれ異なるにも関わらず、登場する人々の主張には共通点があります。
それは
「水は情報を記憶する」
「人の意識が水に変化を与える」、そして
「私たちは水を通して一つに繋がっている」
ということです。」

と言う、お誘いメッセージに興味を引かれて、ナオキ連れにて行ったのですが、とても良く出来た映画でした。
私自身、15年ぐらい前からレイキや手作り酵素やスリーインワン等を通して、実際に水の持つ力と私達の意図や思いの密接な関わりを人々にお伝えしたりしていました。

この映画は、それ以上に、今自分の周りにある全てのもが「水」と言うキーワードによって繋がっている事の事実を実感させてくれました。

そして、「水の結晶」(はっきりとした題名は覚えてません)の本でめちゃくちゃヒットしてた江本さんも出演されています。
でも、江本さん、その本出した後、かなり世間からバッシングに遭われたそうです。
ただ、確かにあの結晶達の写真は、沢山取った中からの写真であって、科学的に裏付けが出来るデータではない事も事実だそうです。なので、私は科学者ではないと本人も訴えられてたそうです。

きっと、水の持つ力の大きさは計り知れず、これを事実として認めたくない人達もいるかもしれない。まあ、そう言う事は人それぞれの自由なので信じなくても良いと思います。
ただ、そう言った、小さな観点からではなく見れば、色んな意味で素晴らしい映画だと思いました。

この映画を見終わった後、お誘いメッセージに書かれてある様に、様々な分野に繋がる内容が出て来るので、見終わった後も皆で多くの事を語る事が出来ます。

命・波動・政治・環境エネルギー問題・TAO・瞑想・レイキ・キネシオロジー・遠隔・繋がり・社会構造・シータヒーリング・ホメオパシー・ボディーワーク・健康・ガン治療・感謝・ホ・オポノポノや今流行のエンジェルお招き・お金・中国やアメリカ等海外との関係・子育て・未来への可能性等々、私達が生きてるこの地球で起こっている事全てに繋がる映画です。

私は、今日初めて見たんだけど、最近の物ではなく結構前から世に出ている映画だそうで、既に見てる人も沢山おられると思いますが、お勧めです!

今日お世話になった下記カフェにて、これからも定期的に上映会していくそうです。

ツイてるカフェ楽夢   http://cinema.gakumu.com/

お仕事始めました。

ここ何ヶ月か私の貯金で暮らしていたのですが、そんなに沢山貯金があるわけでもなく、もう結構ヤバい状態に。。。

それでも、全く新たな収入はやって来ないので、手っ取り早くお金になるナースの派遣会社に登録しました。

ちょっと諸事情が色々あってナオちゃんを直ぐに保育園に入れる事が出来ないので、単発のお仕事から始める事にしました。

ナースとしてバリバリに働いていた時期からは、ブランク12年。

どれにしようか選んでいたら、収入無い日が更に続くだけなので、経験は全く無いが特別養護老人ホームの募集と日にちが合ったのでエントリーしてみた。

私が出かけようとしたら、もう死にそうに泣きじゃくるナオちゃんに見送られ、4年弱ぶりの外でのお仕事。

行ってみると老人ホームでのデイケアサービスでのお仕事の様だった。

その仕事の内容的には、ブランクなんて全く関係なくやれる簡単な仕事で、これでお金もらって良い仕事だわ~って思う内容。

だけど、もうここでは働きたくないって正直思った。

何故って、働いている特に女性の職員の在り方が、サービス業独特の在り方だったから。。

と言うのは、お客(利用者と言うのだと思うが)の老人達がいる時と皆が帰った後と別人の様に嫌な感じの人に豹変していた。

何だか、一人「イライラ」してそれをちょっと人に吐き出してくる感じ。。

ここで何を思い出したかと言うと、以前にナースしか出来ない自分が小さく感じて、派遣のウエイトレスをした事があった。

そこでは、大阪の有名な大きなホテルでのウエイトレスをする事もあったのだが、ここで満面の笑みでお客に微笑みかけているホテルスタッフの裏側をみる体験をした。

まず、着替える部屋では、高校生もかなりの割合でいたのだが、ほとんどのスタッフがバンバンタバコを吸いまくって煙でいっぱいの部屋に特に仕事終わりにはなっていた。

それよりも強烈だったのは、確か「どんでん」といって、パーティーが終わった後の片付けと次の日の会場準備をするのだが、そこでベテランっぽい女の子が、「キーキー」ヒステリーを起こしながら、皆を動かしていた。

私が特にそのヒステリーの被害にあった事は無いけど、客観的に見て「ホテルの準備のちょっとしたミスで人が命落とす訳でも無いのに、キーキー言いまくる必要はどこにあるのか?(病院でミスしたら人の命奪い兼ねないけど~)」って思って、かなり滑稽な風景に感じた。

そしてここでは、男のスタッフでもそんな感じになっていた。

更に怖い事に、私が1ヶ月ぐらい間が空いて同じ所に行ったら、その時キーキーベテランに言われていた高校生の女の子が、今度は新しく入ったトロトロしてる子達に、あの時のベテランスタッフの女の子と同じ様に「キーキー」言って指示をしていた。

何か、「DNAの悪の連鎖」を見ている様でちょっと恐い気がした。

このホテルでの経験と今回のケアセンターでの共通点!

それは、お客様には絶対に「そそう」をしてはいけないし、悪い印象を与えてはいけないと言うのがサービス業では命!

つまり、「お客様から苦情が出ないように振舞う事=自分の身を守る事」に命を懸けているのです。

ホテルもそうだけど、ケアセンターで家に帰った老人が家族にセンターの文句でも言われた日には、大問題や責任問題になりかねませんから。

なので、結果必要以上に緊張して働いて、自分を押し殺しても必要以上に客を持ち上げないといけないので、極度のストレスが溜まるのだと思いました。

で、そのストレスは、自分より更に弱い立場の者の所へ流れて行くのです。

これって、親が子供を虐待したり、世間の虐めなどの起こる原理と全く同じだよな~。

ケアセンターでも、めっちゃ私がその人から何かされた訳じゃないけど、「家に帰りたい、家に帰りたい」と言っている老人達がやって来て、そこで働いているスタッフは、ストレスを溜めると言うこの空間に、どこでも起こっている一般的な状況と分かっていても、やっぱ違和感を感じてしまったのです。

あっ、でも、来られていた老人利用者の方々は、全員優しくてとっても良い方ばかりでした。皆さん気さくにお話してくださったし。

こういった老人達が行く場所が必要な現実は分かる。

でも何か人の生き方としての不自然さの香りが、プンプン臭っている。。。。

どう生きるか、どう歳を取るか、若いうちから皆がしっかりと考えて、身体作りや生き方を選んで行かないとな~ってやっぱり思います。

90歳を過ぎても、自分の畑で作物を作って元気に楽しんでおられる方も良く出会います。

その様に歳を取りたいものです。

そしたら、今の老人医療の問題や介護する側のストレスも少しは少なくなるかも。

そんな初出勤体験だったので、次は普通のクリニックを選ぼうと思い、2回目は常に募集が出ている状況から、明らかに働きにくそうな匂いのするクリニックと日が合ったので、思い切って1時間の通勤時間をかけて行って来ました。

案の定、めっちゃ変わった感じのドクターでした(-_-;)

派遣会社を紹介してくれた助産師さんにその事を言ったら、「ああ、知ってる~、先生がかなり癖があるって聞いてるとこやろ~」

って、そんな噂があったのね。

その通りの所でした。。。

でも、仕事的にはめちゃくちゃ大変な事は無い感じ。

片道1時間かかるって言うのがネックだけど、そのくせある先生に12年のブランクを超えて、ちょっと気に入られた感じ。。。。(-_-;)

そのクリニックの月曜日の募集には、クオカード1000円分が特典で付いた募集になってました。

てな訳で、午前だけでなく午後診も1日にビッチリこの癖あるドクターと関わってくる事になりました。

でも、何故か、楽勝な仕事のケアセンターよりもクリニックの方が割り切って仕事しやすいのです。。。

OSHOの講和「結婚して自由であることは可能か?」

私が結婚に取り組む日々を、応援してくれるような講和だわ~。
現実に向き合う上で、私の支えになります。ありがとうOSHO。
そして、この講和を提供してくれたmuditoに感謝します。
最近アップしているOSHOの講和は、全てmuditoの日記からの転記です。
<OSHOの講話より> 

質問:結婚して、同時に自由であることは可能ですか?

それは難しい。しかし不可能ではない。ただ少し理解が必要だ。

2,3の基本的な真理が認識されなければならない。
第1に、誰も他人の為に生まれてはいないということ。
第2に、誰も人はこのようにあるべきだというあなたの理想を満たす為に、ここにいるのではないということ。
第3に、あなたは自分自身の愛の主人(マスター)であり、自分の望む限りを与えることが出来るが、誰も奴隷ではないのだから、相手から愛を要求することは出来ない、ということ。 

もしこれらの単純な事実を理解したら、その時には、あなた方が結婚しているか結婚していないかは問題ではない。あなた方は一緒にいられる・・・互いの空間を許し合い、互いの独自性を決して妨害せずに。

実際、結婚は時代遅れの制度だ。そもそも、どんな制度のもとで生きることもよくない。どんな制度も破壊的だ。結婚は、何百万という人々の幸せのほとんど全ての可能性を破壊して来た・・・それも、全てつまらないことの為に。そもそも結婚・・結婚のまさにその儀式は、いんちきだ。

もしあなたが結婚を気楽に受け取れば、あなたは自由であり得る。もしあなたがそれを深刻に受け取れば、自由は不可能だ。結婚をまさにゲームのように受け止めなさい・・それはまさしくゲームだ。

それは、あなたが生の舞台上で演じる役割だ。だがそれは存在に属したり、あるいは何らかの現実性を有する何かではない・・・それは虚構だというユーモアのセンスを少し持ちなさい。しかし人々は非常に愚かだから、虚構を現実として受け取り出しさえする。 

私は、人々が目に涙を浮かべて小説を読むのを見たことがある。小説ではものごとはとても悲劇的に進行するからだ。映画館で照明を消すのはとてもいい仕掛けだ。誰もが映画を楽しみ、笑い、泣き、悲しみ、幸せになれる。もし照明があれば、それは少し難しくなる・・・他人は何と思うだろう?と。それでいて彼らは、スクリーンには何もなく誰もいないことを完璧によく知っている。それは単に投影された絵にすぎない。しかし、彼らはそれをすっかり忘れてしまう。

そして同じことが私達の生で起こっている。単純にユーモアとして受け取るべき多くのことを、私達はとても深刻に取っている。そしてその深刻さから、私達の問題が始まる。 

そもそも、なぜあなたは結婚すべきなのかね?あなたは誰かを愛する、誰かと暮らす・・・  それはあなたの基本的な権利の一部だ。あなたは誰かと暮らせる、あなたは誰かを愛せるのだ。

結婚は天国で起こる何かではない。それはここで起こる。ずる賢い聖職者を通して・・・。しかし、もしあなたが社会の一員としてゲームに加わりたくて、独立し、他の人から遠ざかっていたくないなら、あなたの妻やあなたの夫に、この結婚はただのゲームだということを明確にしなさい。 

「これを深刻に受け取らないでください。私は結婚する前と同じように独立しているでしょうし、あなたもまた結婚する前と同じように独立しているでしょう。私もあなたの生を邪魔しませんし、あなたも私の生を邪魔しないように。私達は2人の友人として、喜びを分かち合い、自由を分かち合いながら共に生きて行きましょう・・・でも、お互いに負担にならないようにしながら。そして春が去り、ハネムーンが終わったと感じた時はいつでも、振りをし続けるのではなく、私達はとても愛し合ったとお互いに言えるほど誠実でいましょう・・・そうすれば、いつまでもお互いに感謝していられるし、愛の日々は私達の思い出の中に、私達の夢の中に、素晴らしいものとして残るでしょう・・・

でも、春は終わりました。悲しいけれど、私達の道は別れるべきところに来ました。もう、一緒に暮らすのは愛の徴ではないからです。もし私があなたを愛しているなら、私の愛があなたにとって苦痛になったのを知った時、私はあなたのもとを去るでしょう。もしあなたが私を愛しているなら、あなたの愛が私に拘束をもたらすのを知った時、あなたは私のもとを去るでしょう」

愛は生においてもっとも高い価値を持つ。それは愚かな儀式に貶(おとし)められるべきではない。そして、愛と自由は共に歩む・・・あなたはひとつを選んで、もう一方を残すことは出来ない。

自由を知っている人は愛に満ちている。そして愛を知っている人は、いつでも喜んで自由を与える。もしあなたが、自分の愛している人に自由を与えられないなら、いったいあなたは誰に自由を与えられるのかね?自由を与えることは、信頼すること以外の何ものでもない。 

自由は愛の表現だ。だから、あなたが結婚しているかどうかにかかわらず、いいかね、全ての結婚は偽物だ・・・社会的な都合のよさにすぎない。結婚の目的は互いに自分達を閉じ込め、自分達を束縛することではない。

その目的は、あなた方が互いに成長するのを助け合うことだ。しかし、成長には自由が必要だ。そして過去においては、全ての文化が、自由がなければ愛は死ぬことを忘れてしまっている。 

OSHO:The Rebellious Spirit、#8より (日本語版「ニュー・ウーマン誕生」めるくまーる社)

母親の誕生:OSHOの講和

質問:多くの女性が母親であることを、ひとつの義務と考えています。そのような態度では、子供は負担になってしまうでしょう。どうすれば母親であることに、より大きな喜びを見いだせるでしょうか?母親にとっても、そして子供にとっても。

母親であることを義務と考えてはいけない。それを義務と思ったが最後、何かが死に、とてつもない価値を持つ何かが消えてしまう。その関係性が壊されてしまう。それを祝福と捉えなさい。子供は存在からの贈り物だ。子供に敬意を払いなさい。ただ愛情をかけるだけでなく、敬意を払うのだ。もし敬意を払わなければ、愛は所有になってしまう。敬意を払っていたら、どうして所有することなどできよう?

尊敬している相手を、所有することはできない。その考え自体が醜く、無礼だ。人を所有することは、人を物におとしめる行為だ。そして、ひとたび子供があなたの所有物になってしまうと、あなたは重荷を背負うはめになる。そのとき、それは果たさなければならない義務へと変わってしまう。母親たちは、自分たちがどれだけ大変なことをやってきたかと、生涯話し続ける。

真の母親は、自分がしたことについては何一つ語らない。しかも語らないというだけではない。彼女は自分がそれをしたと感じることもない。彼女はそれを楽しみ、子供に対して感謝しているのだ。それは子供の誕生だけではなく、同時に母親の誕生でもある。一方では子供の誕生だが、もう一方であなたの母性が誕生を迎えているのだ。子供はあなたを劇的に変化させてしまった。子供はあなたに何かを与えてくれた。あなたは、もはや同じ人間ではない。女であることと、母親であることには途方もない違いがある。

だから、愛しなさい、敬意を払いなさい。そして子供の妨げにならないよう、成長の手助けをしなさい。それは一番初めから気をつけなくてはならないことだ。そして、いいかい、自分の母親から学んだパターンを繰り返してはならない。そうなるのは自然なことだ。なぜなら、それがあなたの知っている母親像であり、自分の子供にも同じ行為を繰り返すだろうからだ。そして、そうなるのはよくない。

全く新しく在りなさい。自分の母親から学んだことはすべて忘れなさい。新しいやり方で子供に応えなさい。愛を与えなさい、だが決して枠組みを与えないこと。愛を与えなさい、だが決して人格を与えないこと。愛を与えなさい、だが自由は手付かずのままにしておくこと。

愛することが、子供の自由を侵害することになってはいけない。こんなにも小さな子供の自由を考える人はどこにもいない。だが、それではいつになったら考えられるだろう?明日になっても子供は小さいままだ。そして、明後日になっても。実のところ、あなたは自分の子供が自由を獲得できるような、成長した人間であるとは絶対に考えない。絶対に。なぜなら、あなたと子供の年齢差は、常に同じままだからだ。その差が二十歳あれば、それはずっと二十歳のままだ。それならば、事の始めから子供に敬意を払い、自由を与えなさい。

ときに子供が泣いたとしても、心配しすぎることはない。ほんの少しの間、一人で泣かせておきなさい。いつも慌てて、準備万端待ちかまえている必要などない。それは愛のように見えるが、実際あなたは子供の自由に干渉している。

子供は時々、泣くことを単純に楽しんでいる。それが自分自身を表現する、唯一の方法だからだ。わめき、泣き叫ぶ、それが彼の言語だ。泣かせておきなさい・・何も悪いことはない。その子は世界と関係しようとしているのだ。あやしたり、すぐに乳を与えたりしてはいけない。空腹でない時に乳を与えるのは、麻薬を与えるに等しい。

母親たちは、乳を一つの麻薬として使う。乳を飲み始めるやいなや、子供は泣いていたことを忘れ、眠りに落ちる。それは心地よいものには違いないが、あなたが干渉をし始めたというしるしだ。子供が本当に乳を欲しがっているのでなければ、放っておきなさい。そうすれば、プライマル・セラピー(感情発散療法)など必要なくなるだろう。プライマル・セラピーで泣き叫んでいるのは、幼児期に干渉され、一度も泣き叫ぶことを許されなかった人たちだ。

子供にあらゆることを許し、自分自身であることを感じられるようにしてごらん。子供の行く道から少しずつ手を引いてごらん。手を貸してやるのはいい。だが、育みながら、子供がひとりでに成長するよう、見守ってごらん。時々、子供が間違ったことをやろうとしていると感じたときでさえも、あなたは判断を下す立場にはない。あなたから見て、子供が間違ったことをしていたとしても、それは単に「あなたから見て」というだけの話だ。それはあなたの意見であって、子供は間違っていないかもしれない。その子はあなたの意見に従うために、この世に生を受けたのではない。

子供は無力だから、あなたの意見を押し付けるのはいともたやすいことだ。子供の生死はあなたにかかっていて、彼はあなたの言うことを聞かなくてはならないからだ。あなたが「やめなさい」と言ったら、どんなにそうしたいと思っていても子供はそれをやめなくてはならない。あなたに逆らうのは危険だからだ。

真の母親は、自分の子供に大きな自由を与える。たとえ母親の意に反することをしようとしたとしても、その子は自由を与えられる。子供にはっきり言っておきなさい。「それは正しくないというのが私の考えだけど、お前がそれをするのは自由だよ」と。子供に自分自身の経験を通して学ばせなさい。

そうやって、人は真の成熟を迎える。でなければ、人々は幼稚なままだ。年の数は増えるかもしれないが、彼らの意識が成長することはない。肉体的な年齢は50歳かもしれないが、頭の中は7歳で止まったままだ。そうしたら、彼らは成長するのをやめ、ただ従うだけになる。

あなたの愛を与え、経験を分かち合いなさい。だが、決して何も押し付けないこと。そうすれば、その子は素晴らしい人間に育つだろう。

OSHO, Don’t Look Before You Leap より抜粋

成長するためには、保護することと、しないことの両方が必要だ。庭師が、草木を育てるのを見てごらん。彼は手を貸し、そして草木を保護する。だが日の光に当たり、雨に、嵐に、さらされるという自由も与える。戸外に待ち受けるあらゆる危険から守るために、草木を屋内に入れたりはしない。家の中に入れた草木は枯れてしまう。温室の中の植物は不自然だ。そして私たちは過保護な親たちのおかげでみな温室育ちになる。

子供を守ってはならない。守らず、放っておきなさい。影のように、ついてゆきなさい。世話をしてやりなさい。そして危険過ぎる時には守ってやれるよう、バランスを取るよう心がけなさい。だが、それほど危険ではないと感じた時には、好きにさせておきなさい。子供が成長すればするほど、より大きな自由を与えなさい。

OSHO, My Way:The Way of the White Clouds より抜粋

関係性へのOSHOの講和2

また素晴らしく、私をサポートしてくれる講話に前回とは別の友人の紹介から出会った。

『一緒にいて幸せを感じる最初の時期を通過する時、何が起こってもこの第2の時期も2人で通過することを決意しておきなさい。ひとつ覚えておくべきことがある。2人が別れるとしても、否定的な気分の時に別れてはならない。再びハネムーンが訪れた時に別れなさい。それを重点に置いて決めておきなさい。

そうすれば、これはあなたの実存に対する意識的な作業・・意図的な作業になるだろう。幸せな時に幸せになるのは、実に簡単だ。逆境の時に、真のワークが始まる。

そのような時も、たとえ幸せではないにしても、少なくとも冷静で沈着でいることが出来れば、嵐に直面しながらも動じないような、新しい幸せの質が沸き上がるのが分かるだろう。そして確かに、この種の幸せはありきたりのハネムーン型の 幸せよりも深い。ハネムーン型の幸せは非常に浅い。

だからある日、あなた方が別れることを決めた時は、幸せを感じてハネムーンが始まるまで待つことを決意しておきなさい。その時は別れてもいい。それに、そのような地点は必ずやって来る。それは車輪だ・・それは必ずやって来る。その地点がやって来ると、もうひとつの状態が再びやって来る。

しかも今度はさらに深い段階、さらに高いレベルで訪れる。その時、あなたはあることを理解しているだろう・・車輪が下がって、あなたが不幸せになるたびに、あなたは必ず新しい段階、あなたの実存のさらに深い層に入っているということを。だから、あなたは待つことが出来る。車輪は再び上がって来る。

そして今度はさらに高いエクスタシーになる。実はそこには7つの層があり、7つのハネムーンがあり、そして各ハネムーンに対して合計7つの地獄がある。この7つの層がある為に、インドでは結婚の時にカップルが結婚する時に、2人は火の周りを7回廻る儀式を行うのだ。それは非常に象徴的で心理的だ。

カップルがこの7つの層を全て通過する時、真の結婚が起こる・・それ以前ではない。西洋は結婚とは何かをまだ知らない。結婚とは、あのような一時的なものではない・・それが根付くまでには時間がかかるのだ。2人が・・2つの意識が互いに融け合うことは、世の中でもっとも偉大な化学変化だ。

相手と出会うこと、同じリズムで出会うこと、深い内なる調和の中で出会うのは、容易なことではない。 だから、最初のハネムーンに大した意味はない。第2のものは、それよりさらに高い。第3のものは、それよりもさらに高い。だが、それぞれのハネムーンの間には、大きな地獄が待っている。

何も心配する必要はない・・ただ、その時期を通過しなさい・・それは過ぎて行く。ふむ、いいかな? OSHO – The Buddha Disease』

やはり、そうですよね、OSHO...

そう思えば、毎日が祝福の時になるんだな~。

初めてのお出かけ

今日は、ナオちゃんが生まれてから、初めてお友達のAちゃんと2人でお出かけをしました。

ワークショップなど、ちょっと仕事の一環的な行事では、2,3回アマラナにナオちゃんを預けて出かけた事はあったのですが、遊びに行くのはこれが初めて。

もしかしたら、結婚してから初めてかも。

いつもは、もう一体となってナオちゃんと共に24時間行動を共にしているので、初めは、本当に自由にしていいのか、ちょっと戸惑ったけど、同時に久し振りに自由に動ける事に興奮して、電車に一人で乗ってる事にすら新鮮!

ランチは、「普段子連れで行けないお店にしよ~」と言うのをテーマに選んで、パスタをデザート付きで思いっきりおしゃべりしながら、自分の食べる事だけ考えて食べました~。

今日の初単身でのお出かけの目的は、映画「SEX AND THE CITY 2」を見ること!

同じ育児サークルの友達で、私がアメリカTVドラマ好きと言う事をしって、彼女が勧めてくれたのが、このアメリカTVドラマでした。

調度、Gyaoで無料でこのドラマが見れたので、彼女の教えどおり、シーズン1と2の、あまり面白さを感じないシーズンを乗り越え、シーズン3か4ぐらいから面白くなってくる所まで見たら、後は最後まで一気に見まくりました。

で、その後に彼女が、既に映画化されていた「SEX AND THE CITY」のDVDを貸してくれました。

それは、いかにも映画の為のストーリーって感じる所もあって、「やっぱドラマの方が面白いな~」って言う印象でした。

で、私にとって今回の一番の目的は、初めて単身で遊ぶって言う事だったので、映画がいまいちでもAちゃんと遊べるだけで満足だし、記念日になる日でした。

でも、でも、予想をはるかに超えて、かなり満足する内容どころか、大興奮できる内容だった~~。。。。(見て欲しいから、詳しい内容は書きませんよ)

その内容のエッセンスは、「全ての立場の女性(勿論、世間にはもっと多様な立場の女性がいるけど)が満足する内容にしあがっていた事」でした。

子供がいる人も、いない人も、結婚してる人も独身女性も、子供を作らない夫婦も!仕事をしてる人も、して無い人も!性にオープンな女性も、女性が肌を見せられないアラブの女性も!ゲイのカップルも!

それぞれが、それぞれの人生!自分達で作っていける!

まあ、内容も充実してたけど、更に私を興奮させたのは、メインの舞台が「アラブ」だったこと。

その場所は、「アブダビ」

大好きな「砂漠」に、大好きな「アラビックミュージック」そして、4人のゴージャスな衣装に水タバコやベリーダンス。

出稼ぎに来ている、インド人男性まで登場していた。

アブダビでのカラオケシーンでの「I AM WOMEN」も良かった~。

このドラマは、4人の衣装もいつも注目されていたらしいけど、私は今回初めて、衣装にも注目した。ステキ~~。

やっぱ、ドラマから見た方が、今までの歴史を思いながら見れるので良いと思う。でも、多くの人に見て欲しいな~。

サマンサ、最高~!!

アルコールを2人共買って、「飲みながら映画を楽しもう~!」と張り切ったのに、私は飲む事も忘れて、時々涙を流しながら身入ってしまった。。。

その後、Aちゃん行き付けの「通販生活」のSHOPと、美味しいパスタにホールトマトなど等が安く買えるお店にAちゃんに連れてってもらって、映画の興奮が有り過ぎて、冷静に買い物出来なかった~。

今度、もう一回、ゆっくり行こ~。

夕食時間前を目指してお家に帰ったのだけど、今回は友人達がいてくれた事もあって、アマラナも良い感じで、気分良く遊んで帰って来た私を迎えてくれました。。。。(ホッ!!)

ナオちゃんは勿論、「ママ~」と走って来て、ビッグハグで再会の喜びを2人分かち合いました(^_-)-☆

「SEX AND THE CITY 2」に興奮して、友人含めて皆、喜んでくれたのも嬉しかったな~。

我が家にお泊り中のカップルが、今夜は大阪デートに行くと聞いて、更に映画の影響から「ステキ~!2人でデート楽しんで~!」とまるで酔っ払いの様にLOVEモード大歓迎の人になってしまって、目の前にいる人の周りにキラキラの光が本当に見えて、世界中の恋人達を愛する人になってました。。。。

夕食は、カップルとは別に家に来ていたお友達と一緒に、めっちゃ美味しい天ぷらやさんに行きました。

あ~、幸せな初めてのお出かけDAYでした~~。。。

A ちゃんありがと~。楽しかった~。

また一緒に遊ぼうね~♡ LOVE

オーストラリア人シンガー・ソングライターのヘレン・レディが歌い、ジャクリーン・ビセット主演の映画「Stand Up And Be Counted」の主題歌

I am woman, hear me roar
In numbers too big to ignore
And I know too much to go back an’ pretend
‘Cause I’ve heard it all before
And I’ve been down there on the floor
No one’s ever gonna keep me down again

私は女
大きな声で言うから聞いて
私達は無視できないほどの大きな数になった
よくわかってしまったから、
昔に戻ったり、知らない振りをすることはできない
そうもう全部聞いて知ってしまったの
私はずっとフロアに降りていたけど
もう二度と私をフロアにとどめておくことはできない

*roar 大声を出す
*in numbers  大勢で
*down there on the floor > (雰囲気ではわかるが、今ひとつ意味がつかめない)

Oh yes, I am wise
But it’s wisdom born of pain
Yes, I’ve paid the price
But look how much I gained
If I have to
I can do anything
I am strong (strong)
I am invincible (invincible)
I am woman

そう、私には智恵がある
苦しみから生まれた智恵がある
多くの犠牲を払ったけど
こんなに多くの価値あるものを得た
もしそうしなければならないのなら
私は何でもできる
私は今や強い
私の信念は揺るがない
私は女なのだから

*wise 賢い, 分別のある
*wisdom 知恵, 賢明
*invincible 征服できない, (信条などが)揺るぎない

You can bend but never break me
‘Cause it only serves to make me
More determined to achieve my final goal
And I come back even stronger
Not a novice any longer
‘Cause you’ve deepened the conviction in my soul

私を屈服させても
押しつぶすことはできない
だって最後のゴールを目指す
私の決意をいっそう固くするだけだから
私はさらに強くなって戻ってくる
もはや私は初心者ではない
だって、私の魂のなかにある信念が
よりいっそう深まったのだから

*bend 曲げる; 屈服させる
*determined 決心した ; 決然たる.
*achieve 達成する
*novice 【カトリック】見習い僧[尼]; 初心[未熟]者
*deepen 深める,深まる
*conviction 確信, 信念

Oh, yes, I am wise
But it’s wisdom born of pain
Yes, I’ve paid the price
But look how much I gained
If I have to
I can face anything
I am strong (strong)
I am invincible (invincible)
I am woman

そう、私には智恵がある
苦しみから生まれた智恵がある
多くの犠牲を払ったけど
こんなに多くの価値あるものを得た
もしそうしなければならないのなら
私は何にでも立ち向かう
私は今や強い
私の信念は揺るがない
私は女なのだから

I am woman watch me grow
See me standing toe to toe
As I spread my lovin’ arms across the land
But I’m still an embryo
With a long, long way to go
Until I make my brother understand

わたしは女
成長していくのを見て
互いに力をあわせて立っているのを見て
国じゅう至るところに
愛を込めて手を差し伸べる
でも私はまだ生まれたばかり
兄弟たちに理解してもらうための
道のりはまだまだ長くて遠い

*toe to toe 互いに向き合って, 接近して
*embryo 胎児; 萠芽(ほうが)

Oh, yes, I am wise
But it’s wisdom born of pain
Yes, I’ve paid the price
But look how much I gained
If I have to
I can face anything
I am strong (strong)
I am invincible (invincible)
I am woman

そう、私には智恵がある
苦しみから生まれた智恵がある
多くの犠牲を払ったけど
こんなに多くの価値あるものを得た
もしそうしなければならないのなら
私は何にでも立ち向かう
私は今や強い
私の信念は揺るがない
私は女なのだから

I am woman
I am invincible
I am strong
I am woman

私は女
私は今や強い
私の信念は揺るがない
私は女なのだから

結婚や子育てに関するOSHOの講和

結婚前は、結婚や子供を持つ事に否定的な情報が、何気にサニヤシン界から伝わって来ていた。

だが、世界が変わると、自分の周りにやってくる情報も一変する。

結婚後、タントラの探求を意識しながら生活していたら、子供を身ごもった。しかし、妊娠がはっきりと分かった時、初めにやってきたものは、結婚や妊娠に対しての否定的な意見や嫉妬の嵐とそれらに巻き込まれて自分を失うと言う状況だった。

その中での生活は、胎教に最も悪いと思われる精神状態と身体的緊張の日々だった。

子供がお腹の中で体験する事が、どれだけその後の人生に影響するかを私自身が身をもって体験し、理解していた事もあり、やはり周囲の事よりも、この小さな命を守る事が最優先だと思い、感情的なことを脇に置き、その時の看護学校の先生の仕事を急遽辞めた。

しかし、仕事を辞めても、精神的に追い詰められたような感覚は持続した為に、日本にいては駄目だと思い、インドへアマラナと共に移動した。

インドのプーナでの生活は、始まりから、友人がサポートを快く引き受けてくれくれた為に、妊婦で英語も話せない状況でも、快適な生活がスタートできた。

そして、日本での体験とは逆に、妊娠を喜んでくれるサニヤシン達が沢山いた。それと共に、OSHOが妊婦や結婚についてポジティブな事として語っている講和の話などが沢山やって来た。

インドでやっと私はくつろぎを手に入れる事が出来た。

妊娠中のインド生活とそこで出会った沢山の愛のある人達のお陰で、お腹の中の子供と共にいるスペースと素晴らしさを感じる事の出来る私となれた。

結婚を決断してから、4年弱。妊娠し、インドで癒されてから3年が過ぎ、今では結婚生活と育児の2つの視点から自己探求をする毎日。

自分一人での探求ではないから、やはり思うように、理想的には事が進まない事だらけの毎日である。

そんな中、サニヤシンとしても結婚生活も育児でも先輩である友人が、忘れた頃にと言う間隔で、私の子育て生活を思ってのメールをくれる。

私の子育ての中では、助けを気軽に求められる人が近くにはいない事もあり、孤独感の中での育児生活となる事も頻回にある。

そんな状況の生活の中で、年に会うか会わないかにも関わらず、忘れた頃に気遣いのメールを送ってくれる事は、本当に愛を感じるし、彼に対して感謝の気持ちでいっぱいになる。

その彼が、先日まさに私が望む結婚子育て生活をサポートしてくれる様な、OSHOの講和を携帯にメールしてくれた。

~1通目~

『母親は、子供がより多くの人を愛するように仕向けてあげることだ。子供にはこう言いなさい。「愛することは無常の喜びなんだよ。だから愛していきなさい。愛すれば愛するほど、あなたは成長する。」

より多くを愛せる人間はより豊かになる。私達がみな貧しいのは愛せないからだ。もしあなたがより多くの人を愛すれば、誰をも愛せるようになる。もしあなたが一人の人だけを愛するなら 最後にはその一人をも愛せなくなる。あなたの愛する能力はあまりに狭まり 凍り始めるからだ。

みんなどこからか愛をつかもうとしている。しかし愛はつかめるようなものではない。ただ与えることができるだけだ。もしあなたが愛を与えるなら生は千倍にしてその愛を返してくれる。

しかし見返りを考えてはいけない。子供が愛情深くあるように導くあらゆる努力が避けられてはならない。

私が考える限り、多くの人を愛せる人間は愛だけで結婚することはないだろう。

どうか私の言うことを理解してほしい。我々は愛ゆえに、全ての人に結婚を強要する。あなた方は結婚という枠の外で人を愛せないからだ。我々は不必要に愛と結婚を一つに結びつけることを強要した。

結婚とはもっと深いもののために存在する。

親密さのため、一体感のため、しかし 愛に飢えたこの社会ゆえに 我々はロマンチックな愛から結婚に落ちる。もしあなたが愛のために誰かと結婚するなら失望するだろうーすぐに楽しさは消えさり 新鮮さは消え失せ、退屈になる。

結婚は深い友情、深い親密さのためのものだ。

自分一人では進んで行けない多くの事柄がある。自分が成長するにしても、反応してくれる人間、自分自身を完全に開けるほどに親密な人間が必要になる。

結婚は深いスピリチュアルな共感だ。

我々の結婚は性的な取り決めか 刹那のロマンチックな愛かのどちらかだ。実際、ロマンチックな愛は病気だ。というのも、あなたは多くの人を愛せないから その愛する力を蓄積し続けていく。すると あなたはその愛で溢れ出す。そして いつであれ相手が見つかれば、または機会があれば、その溢れ出る愛が投影される。だから 平凡な女性が天使のようになり、平凡な男性が聖なる存在に見える。

しかしその洪水が過ぎ去ると、あなたは普通の状態に戻り、自分が騙されていたことがわかる。このロマンチックな狂気は 我々の独占愛的なトレーニングから生み出されている。

真に健全な社会では ロマンスは存在しないだろう。愛は存在するがロマンスは存在しない。そしてもしロマンスが存在しないとすれば、結婚はより深いレベルへ進み、失望するものでは決してないだろう。

愛する能力は多くの人にむけられるべきだ。もちろん、あなたが愛せない人も存在する。そういう時、そういう人達を愛そうと自分を強制しないことだ。( 和尚ー究極の錬金術より)』

~2通目~

『子供はポジティブにトレーニングされねばならない。ポジティブさの強調が、あらゆる物事においてなければならない。その時にのみ子供は真に成長し、個人となれる。

だから マインドの肯定性を引き出すがいい。たとえ否定的なものがあったとしても 常にその中に肯定的なものを見ようとするーそこには肯定的なものがきっとある。

例えば〔この男は嘘をつくからいい人ではない〕…しかしたとえ彼が嘘をつくとしても ただの嘘つきではない。彼は嘘つき以上の存在だ。なぜその人の素晴らしい部分を見ないのか?

もし子供が、否定的なものの中にさえ肯定的なものを見れるようになれば、あなたは子供に何かを与えたのだ。彼は幸せに生きていくだろう。

もしあなたが彼に否定的なマインドを与えれば、彼はあらゆる肯定的なものの中に否定的なものを見い出すようになる。彼は生涯 地獄の中で生きていくだろう。

天国とはポジティブな世界に生きることであり 地獄とはネガティブな世界に生きることだ。   和尚』

もう直ぐ、結婚4年目を迎える。

生活状況も、実際に変化もあり、過渡期にあると思う。

このタイミングで、このメールは、まさにOSHOからのサポートである。

今度彼に会ったら、勿論お礼を言うが、彼は自分がしたいからしてくれているのだろうけど、その行為がどれだけ私をサポートしてくれているか。。どんな言葉を使えば伝わるのだろうか。。。。

ありがとう。。。。♡