サニヤスを受けただけでは奇跡は起こらない;OSHO講話

ムディトの日記から転載させてもらいました。。

一般の資格重視の社会からは理解出来ないかもしれないけれど、私達がOSHOの瞑想を続ける理由。。。

だけど一旦この世界の味わいを知ったなら、日常の外の世界で様々なことが起こったとしても、内側では信頼がただそこにはあるだけ。。そして、内側から沸き起こるものに、ただ従って行くだけ。。。

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日本語版OSHOタイムス、44号(1992年10月1日発行)の記事より

※長年にわたってOSHOは、別々の個人に様々な方法で「究極の変容は、弟子が自分の道に関して断固としており、全面的で、全身全霊であって初めて起こる」ということを再確認し続けて来た。

たとえば何人かのこれからサニヤシンになろうとする人が、OSHOからイニシエーションを受けたがっていて、まだ他のマスター達に深く惹かれていた時、彼は必ず、まずその古いマスターの許に戻ってそのことを終え、全面的に彼の許に来られるようにしなさいと強く勧めた。

「私はリー・ロゾウィックをよく知っているが、彼は厳格でもなければ光明を得てもいない」と、OSHOはHari Om Tat Sat の中で、サニヤスを取ったばかりで、しかし元のアメリカ人のマスター、リー・ロゾウィックにまだ愛着を感じているひとりの弟子に言っている。

しかもあなたはアメリカで、彼の許に6年も留まっていた。ということは、あなたには知性もないということだ。もしあなたが本当にマスターの許にあったのなら、ここに来る必要もなかっただろう。あなたの最奥の存在は満たされており、満足し、祝福されていたはずだ。

もしあなたがマスターの許にいたのなら、その人を見捨てることなどほとんど不可能だ。あなたの愛がそれを妨げるだろう。あなたの信頼が、あなたと全世界の間に立ちふさがるヒマラヤになるだろう。あなたのマスターが、あなたの全宇宙だ。

そして「今、プーナに来てから1週間経って、私の中にしつこく迫るようなある感じが起こって来ました。私は本当にサニヤスを取ったのだろうか?そして、あなたは本当に私のマスターなのだろうか?」と、あなたが尋ねているのは不思議だ。

リー・ロゾウィックはどうしたのかね?6年間もいたのに、なおあなたは彼の許に帰りたがっている。その理由は明らかだ。それはあなたが彼の中にマスターを発見したということではなく、彼の中に自分のエゴに対する承認を見つけたということだ。

ここでは、あなたのエゴは日毎に破壊されていくことになる。あなたが自らの存在のエッセンスだけを残して、完全に消えてしまわない限り、あなたはサニヤシンではない。

あなたのような人が6,7日経ってサニヤスを受けた時、どんなことが起こるだろうか?そういう人のマインドの中で何が続くだろう?そういう人はサニヤスを受ければ、自分に何か奇跡が起こると考えている。それは完全に間違っている。

あなたが受けたこのサニヤスは、いかなる奇跡も呼び起こさない。これはただ求道者のコミューンの中に入ること、自分を手の届くものにすること、内側の人間になって、ただの傍観者ではなくなることだ。

それから一歩一歩、愛の道を、信頼の道を学びなさい。それから一歩一歩、自分自身の存在の中に入っていく方法を学びなさい。あなたが自分の中心に入る日が、真のサニヤスの日になる。これはほんの形式に過ぎない。

真のサニヤシン、自分自身にたどり着いた真の存在には、質問は起こらない。「そして、あなたは本当に私のマスターなのでしょうか?」などと。誰が本当に自分のマスターであるかどうかを見つけ出す方法は、ひとつしかない。

もしその人の臨在の許で、その人の求道者達の宇宙の中で、もしその人の探求者達のキャラバンの中で、突然自分自身に突き当たり、それまで一度も経験したことのない歓喜を見出し、夢にも現れたことのないような祝福を見出したなら、その経験の後ではもう、あなたの中に疑問は起こらない。

それこそが決定要因だ。自分の中に疑問が起こらないということが。あらゆる質問はただ落ちる。あたかも秋に樹々から葉が落ちるようなものだ。

この質問が消えるという、そしてそれと共に想念とマインドが消えるという体験の中で初めて、あなたはその答えを得る。自分は真のマスターを見つけたと。

その前に決めることは出来ない。これは市場ではないからだ。誰かがその扉に「私は真のマスターだ」と書いてあるような訳にはいかないからだ。

あなたは忍耐と待つことを学ばなければならない。誰にも決して分からない。それは今日にも起こり得るし、何年もかかるかもしれない。全てはあなた次第だ。マスターはただ、ある微妙な雰囲気を創るだけだ。

その雰囲気はここにある。もしあなたがそれに同調することが出来たら、あなたはサニヤシンだ。

そしてもしあなたがゆっくり解体して、ここで起こっているダンスの、祝祭の、瞑想の、歓喜の一部になることが出来たら、突然、あなたは真のマスターの間近にいる自分に気づくことになる。

もしそれが起こらないなら、それには2つの理由があり得る。そのマスターが本物でないか、あるいは弟子であることが本物でないかだ。マスターが本物でないという考えに飛びつくよりは、ます自分の弟子であることの方を調べてみるといい。

サニヤシンになることで、あなたは何をしたのか?どんな変化があなたに起こったのか?あなたはこの運動にどんな風に深く入ったか、自分としてはどんな風に中に入ったのか、あなたの生活様式にどんな変化が起こったのか?

何もかもあなた次第だ。あなたにサニヤスを与えるということは、ただ私達があなたを受け容れるという、私達の扉はあなたに対して開いているということに過ぎない。それ以上ではない。

今度、この寺院の中で起こることは、あなた次第なのだ・・・あなたの知性、あなたの統合性、あなたの誠実さ、あなたの真理に対する真摯な探求次第だ。

そしてあなたが6日間で、瞑想がどこにも導かないことを理解したとは、私には思えない。あなたが私という実在の臨在に触れたとは思えない。

だが私はあなたに提案しよう。もしかしたら、あなたはリー・ロゾウィックの許に戻るべきかもしれない。というのも私は知性のない、忍耐心のない、急いでいる人々の集まりには全く何の興味も持っていないからだ。

あなたは帰って来るだろう・・・それについては私は確信している。だが今回はあなたは戻りなさい。まずリー・ロゾウィックとのことを済ませなさい。それがあなたにしつこく迫って来るものだ。

もしかしたら自分は正しいマスターの許を離れて、ここでおかしな世界に入ってしまったのではないか、とあなたは考えている。一度帰ってみてはどうかね?

私は決して誰にも、中途半端にここにいて貰いたくはない。あなたはここにいるか、あるいはここにいないかだ。その他の選択はない。だから、じっくり考えたらいい・・・。

そしてもし来たくなったら、今度は全身でやって来なさい。あなたの全面性が尊敬され、愛されることになる。

そしてあなたの全面性だけが、あなたにここにいるマスターを見つけさせることが出来る。

日本語版OSHOタイムス、44号(1992年10月1日発行)より

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