感想:ゴパルのグループそして、個人セッション タタータ

Sちゃんからの前回のゴパルのトレーニングでの感想文が届きましたので、以下にシェアします〜。

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ゴパルが今回来るにあたって、ふと前回はどんな感じだったかな?

って今年の春のことです。。

なんだか、もうすごい昔のようだけど、春のことだった!

どうだったかって振り返ると、まだまだ未消化のものもあるけれど、ここでちょっと改めて思うと、トラウマヒーリングという言葉にひかれて京都までいったものの、トラウマのボタンを押しまくりのトレーニングだったように思う。

ヒーリングどころではなくて、ほんとにトラウマのボタンをひたすら押すようなことが勃発していた。

それは、いろんなエクササイズのなかでもとくに境界線について、体感している時だったと思う。

もうまさに私の無意識の癖というかパターンがやってくる瞬間があって、それはほんとうに起きて、いやというほどの体験だった。

その癖、トラウマは、私の境界線の認識のあいまいさからやってくる。

というか相手にパワーを明け渡してしまうというか、未熟さからくるお助けやにエネルギーを明け渡してしまい、傷だらけになって、そして自分を優先できなかったこと、自分の境界線を明け渡してしまったことからやってくる痛みと怒り、、そこには無意識になんであれ相手の期待に応えようとする私がいて、もう怒りや痛み嫌悪感で苦しむことになる。

そして、そんなことをまざまざと体験してしまったトレーニングだった。

ああ、、もうびっくりだった。。おかげでその日の夜から高熱をだし、それはもう激しい頭痛と節々の痛み。。

そんなふうにして全身でトラウマをしっかり体験。

同室のRさんが、ほんとうに自分自身でいてくれて、そして繊細で、そして素晴らしくケアーをしてくれて、ほんとうにありがたかった。

そして、そんなひりひりしている私に、それでもちゃんと愛の手は差し伸べられていて、ゴパルの個人セッションを受ける。

ひりひりしている私に、ゴパルはそっと何が私をわくわくさせるのか、リソースにつながるものはなんなのか、全く無理強いせずそっとたずねてくれる中で、私の中から出てきたものは、ほんとうに自然とつながるものだった。私の大事なキーセンテンス、自由であること。それは特別な何かではなく、日常の中で少し目を空に向けたり、大地をみたり遠くの景色やそばにある自然に向けることができれば、いつもそれはそこにあっていつもきらきら輝いている。

すると、さっきまで痛みと怒りと嫌悪感に苦しんでいたことがまるで幻想のように感じたり、まるで遠くで起きてる出来事のように感じることができた。

いつもながらゴパルのワーク、特に個人セッションは不思議で、ゴパルは何も多くを語らないのに、とても深くそして静かで、そこにはそこはかとなくやってくる安心感、満ち足りたなにかにいざなってくれる。

そして、自分のリソースがどこからやってくるのかということを、容易に思い出すスペースに導いてくれる。

存在とつながっているそんな感覚を頭ではなく体で感じることのできるスペースに。

もうその時は、ほんとうに深く深く内に入り、とても深い静けさの中にいた。

これが、私が体験したゴパルマジック、。

人生はタタータ それを、呼吸の中で日常の中で感じた。

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