ゴパルの紹介日記

友人のViruが、 ゴパルのワークショップについてとても素敵な日記を書いてくれたのでご紹介します〜。

以下、日記

人も、状況も、刻々変化するものだから、

これこれは、どういうものだとか、こんな風になるとか、

世間話程度にはいいだろうけれど、

パブリックな、告知としては、なんとも言いがたい。

ゴパルには、若い頃、ビパサナ・グループで、お世話になり、

その後、10年程して、ヒプノを導入した、グループに参加したりもした。

2年前には、京都で待ち合わせし、清水寺辺りを散歩、

今年の3月には、台灣在住である、彼の自宅へ行き、

近くの山、頂上近くの禅寺なんかを案内してもらった、。

元来、歩くのが早いほうだけれど、彼と散歩し始めると、

知らぬ間に、歩く速度がゆったりしているのに気づく、。

生に逆らうことなく、ゆったりと流れていく、。

しかる後、漂っている自分どころか、

その流れさへ、自分であったと、気づく瞬間がある。

別段反対派でもないけれど、多くのグループが、

目的を持ち、生と自分を、問題であるとし、

その解決策、又、自己分析による、ある種の納得感を、

参加者に与えるのに対して、

もう一つのアプローチがある、。

根源的に生を受け入れ、自分を問題としない、。

その問題さへ、自らが創りだした、

目的志向の反映であると知り、自己否定感という幻想を、溶解せしめる、

そんなアプローチがある、。

探求の道を歩み始める時、道標が必要なのは、自然なことだけれど、

それ故、本質の周辺を、幾多のメソッドに興味を奪われ、

徘徊することは、神殿を訪れたのに、参道の土産物屋で、

物珍しい記念品を、買い漁っているようなものとも言える、。

もちろん、土産物を楽しめばいいのだけれど、

元来、本質への方向がないと、魂が満たされる事はない。

あれこれ、目移りするメソッドによって、

本質の周りを、ぐるぐる回ることに、忙しくなり、

逆に、本来のものから、遠ざかるように感じる。

おっと、タイトルは、ゴパルのワークショップだった、。

生の大河は、流れ続けている、。

問題を持つものとして、自分や、他者を分析せず、

ただその生の流れに、身を任す。

そんな自然な道、流れに、興味の有る方は、どうぞ、、。


詳細、 
http://wp.me/pW2RC-jQ

Viru、素敵なシェアをどうも有り難う〜。

ゴパルのグループがますます楽しみになりました〜♪

その他のゴパル関連の記事は、上のバーの中にあるゴパルのところをクリックしてね。

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