OSHO講話:自由の生を生きる

去年から祝島のや高江や奄美などをはじめ、日本各地で次々に起こる自然破壊とそこに住む人達の生活環境を全く顧みず、権力の力で自然な命を蝕む計画が実施に向けて動き続ける政府に企業。

そして、今年に入ってより沢山の友人のつぶやきが増えて来て実際に行動を起こしている人達が増えています。

今日もこの記事がやってきました。

「祝島・高江の問題は私たちの問題」

http://www.qab.co.jp/news/2011021525873.html

そして、いぜん気の許せない奄美の自然

「奄美大島と加計呂麻島のチップ工場建設・大規模森林伐採計画」http://savekakeroma.net/

この様な現実を前に、心が痛んだり、怒りが出たり、人の愚かさに虚しく感じたりするなかで、これらの情報を元に私達はどうするのか?

と言う事を思う時に、やはり心ない人達への反発心は相手に向けたところで結局は平行線!

勿論訴えるべき事は大いに訴える必要はあるけど!

彼らが、心ない行動をする根底には、やはりサバイバルの恐怖があるでしょう。

だとすれば、恐怖には愛以外に立ち向かえるものはないと思う。

私達一人一人が、愛と喜びの中で生きていれば、サバイバルの恐怖から自然を破壊し、子供達が安心して成長出来る場を壊すなんて事出来る訳がない!

でも、この愛と喜び、そして生きている事の喜びを味わった事のない人は、この言葉の意味も感触もきっと分からないと思う。

愛とか喜びとかって言葉ですら、宗教の言葉の様に感じ、自分の人生の外側にあるもので、現実に存在するものとしては、とらえられないだろう。

きっと、そんな寂しい中で生きてる人が人口の大半を占めているんだろうな。

生きてる事にトータルに喜ぶ時、人は自分が今どんな姿かは思いめぐらせないし、人の目や世間体も考えない、自分が何をすべきだろうかなんて事も考えない。

そして自分の中から溢れ出る喜びで人も自然も境界線がなくなり、今目の前のあるもの全てをただ、愛するといった状態が起こる!

これこそが、セレブレーション!!

楽しい、悲しい、嬉しい、成功、失敗、孤独、幸せ、失業、就職、合格、失恋、誕生、死、怒り、感謝、恨み、喜び、嫉妬、恋愛、喧嘩、なんでも今目の前にあるものや状態全てをお祝いする事!

今のありのままの自分をお祝いする事!

今、この瞬間をトータルに踊り、表現し、喜びの中で、この時間が永遠かと言わんばかりに光の中に溶けて行く素晴らしさを、私はOSHOから学びました。

その喜びを忘れない様に生活すると共に、このブログの初めの頃に書いた「結婚を決断した理由」のところでも出て来たけど、「サニヤスであれば、危険な道を歩きなさい!安全や安心の中にいてはいけない!」と言う言葉が、いつも人生で選択をしないといけない時に、私を支える言葉です。

サバイバルの恐怖から人が自由になれば、人は自分らしく生きる事に専念し、人をうらやむ事もなく、自然破壊をしないと生きていけないという考えもなくなるのでは?

このセレブレーションの喜びの光の世界をもっともっと皆で広げて行こう〜☆

と思っていたら、またもやSheelからタイムリーなOSHOの講話をシェアしてもらいました。

☆人はどのようにして自由の生を生きるのですか?
私のメッセージは実に単純だ。

生をできるかぎり危険に満ちて生きなさい。
生を全面的に強烈に情熱的に生きなさい。
なぜなら、生よりほかに神はないからだ。

フリードリヒ・ニーチェは「神は死んだ」と言う。
それは間違いだ。

なぜなら、神など最初からそこにいなかったからだ。
どうしてその神が死ぬなんてことがある…?

生はある。
今までもずっとあったし、これからも常にあるだろう。

自分を許しなさい…
そして私はくり返し言う、
自分が生に乗っ取られることを許しなさい。

過去のいわゆる宗教は、
まさにその逆を教えつづけてきた。

彼らは「放棄しなさい」と言う。
私は『祝いなさい』と言う。

彼らは生を否定し、
私は肯定する。

彼らは、 生は何か間違ったもの…
幻影のようなものだと言う。
そして、彼ら自身の
マインドの投影以外の何ものでもない…
神という抽象的な概念を創りだし…その投影を 崇拝する。
それは実に非知性的で、馬鹿げているから、
何百万もの人々がこうしたまったくのたわごとを
どうして信じてきたのか、不思議なくらいだ。
ものごとのあるがままが、
マインドの抽象にすぎないもののために否定されている。

神とは言葉にすぎない。
だが彼らは、神は実在すると言う。

生は‘現実’だ。
あなたは生を自分のハートのときめきのなかに 感じる。
生はあなたの血のなかで脈打つ…
生は至るところにある…花に、川に、星に。

それなのに彼らは、これらは すべて“マーヤ”だ、
すべて幻影だと言う。
生は夢が作られるのと同じ材料で作られていると言う。

が…、彼らは 神を創る
もちろん、誰もが 自分勝手な想像で神を創る。
だから…何千もの神々が創られてきた。

それはあなたの想像だ。
あなたは頭の四つある神を創ることもできれば、
千の手をもつ神を創ることもできる。
それは‘あなた’次第…あなたの ゲームだ。
そして、これらの人々はずっと 言いつづけ…
他人のマインドを毒しつづけてきた。

私はあなたに言おう、生が 唯一の真理だ。
生よりほかに神はない。

だから、生のすべての形、 色、 次元…
その虹全体、その音楽のあらゆる音色において、
自分自身が生に乗っ取られるのを許しなさい。

もし、あなたがこの単純なことをやっていけるとしたら…
それは単純だ。
なぜなら、
それはただ‘手放し’という問題にすぎないからだ。

川を押し進めてはいけない。
川があなたを大海へ連れてゆくに任せなさい。

それはすでに道の途上にある…
あなたはただくつろぐがいい。
緊張したり、
スピリチュアルになろうとしてはいけない。
物質と精神のあいだに、いかなる境界線も創ってはいけない。

存在はひとつだ。
物質と精神は同じコインの表と裏にすぎない。
くつろぎなさい。
休みなさい。
そして、川と伴に行きなさい。

ギャンブラーでいてごらん。
ビジネスマンでいてはいけない。
そうすれば…あなたはもっと神を知るだろう。

なぜならギャンブラーは危険を冒すことができるからだ。
ギャンブラーは計算高くない。
彼は自分のもっているものすべてを賭けることができる。

しかし、すべてを賭けて待っているときのギャンブラーのスリル……
さぁ、どうなるか?
まさに…その瞬間に、窓が開きうる。
その瞬間が、内なるゲシュタルトの変容となりうる。

大酒飲みになりなさい。
生に、存在のワインに酔いしれなさい。

しらふでいるのはやめなさい。
しらふの人というのは…死んでいる。

生のワインをあおりなさい。
それはほんとうにたくさんの詩と
多くの愛と多くの ジュースにあふれている。

あなたはいつでも春を連れてくることができる。
ちょっと春に声をかけて…
太陽と風と雨をあなたのなかに入らせなさい…。

スピリチュアリストたちが
私に反対するのは、まさにこのメッセージのためだ。
なぜなら、彼らは私が神を否定していると思っているからだ。

私は神を否定してはいない。
私がはじめて、神とは本当は“なに”なのかを明らかにしている。
私は神に生命を与えている。
私は神をあなたに近づける。
あなたのハートそのものよりも近くに…
なぜなら、神はあなたの実存そのものであり、
かけ離れた何かではなく、
遠くにある何かではなく、
空の上にある何かではなく、
‘今ここ’だからだ。

私は“そのとき、そこで”という
観念そのものを壊そうと している。
私のビジョン全体は‘今’と‘ここ’のものだ。

なぜなら、ここよりほかに 場所はなく、
今よりほかにときは ないからだ。

Osho – Guida Spiritual

。。本心だけど、今日のブログはなんか一般公開する事に勇気がいる感じだわ。。。

広告

OSHO講話:自由の生を生きる” への3件のフィードバック

    1. 私も、シェアしてもらったものを書き留めているので、ぜひ色んなところで使ってね〜☆
      また一緒に,セレブレーションしよ〜♡

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中