幼少期の自殺願望

別にめちゃくちゃ辛い事が人生に起こったから自殺したくなったわけではなく、ただ「生きている事が退屈で、毎日何の為に生きているのか?毎日何も意味も無く日々が積み重なって時が経っていく意味が分からなかった」から。

私が育った家庭では宗教が普通にあり、おばあちゃんが先生と呼ばれ、色んな人が我が家にお参りに来ていた。その宗教は、法華経だった。その中で、「輪廻転生」の考えは普通だった。

この全く失敗としか思えない人生。

保育園が人生で一番最悪!

保育園に行った事から、私の人生は更に最悪になったといえる。初めのステップで私は大きくつまずき、その痛みをずっと抱えながら18まで生きた。

家庭にも居場所はどこにも無いし、外へ行った所で、学校にも居場所が無い。

この身体はどうかと言うと、小さい時からアトピーで、いつも身体にカユミがあり、ステロイド使用や仲の悪い大人達の感情が複雑に絡み合い、その中でのいつも潤滑油の役割を唯一の子供の私がしないといけなかった家庭環境にいる事等、免疫力を下がる要素が多くあり、子供時代に一般的に味わえるはずの身体と繋がり、身体にいる事の快適さ等は全く体験が出来ずに、常に身体の不調やかゆみで体力も無く、身体がある事でいつも友達と身体を使って楽しむ事は出来ずに、身体があるお陰で人生の辛い思いを、更に多く体験するしか無い幼少期だった。

外から見るととても馴染んで、友達もいて楽しく生きている様に見えたと思うけれど、何処にいても自分がくつろげる居場所は無かったし、心を本当に打ち明けられる人は、勿論何処にもいない。

特に辛かったのは、同世代の周りの子供達が、子供っぽ過ぎて、どうしてそこまで幼稚な状態で皆いられるのかが理解出来なかった事。

その結果、やはりこの世界には居場所が無いとしか思えなかった。

まあ、つまり、私は子供時代を子供として過ごせなかったので、成長を重ねて大人になるという事もこの肉体を持ち人間として生きる世界では困難であった。

なので、こんな世の中に生まれて来ても、辛い思いしかする事の無い世界に、無意識に子供を作って、私がこんなに辛い思いをするかもしれないという事は全く考慮する事なく無意識に私を産んだ母親は、本当には私に対する愛情が無いから私をこんな世界に産む事が出来たんだと、よく考えていた。

母親にも実際に言ってたし。。

だから、私は自分の母親と違って、子供に対して本当の愛情があるから、こんな辛く何にも有意義な事も楽しい事も無い世界には子供は産まないって、スリーインワンやオーラソーマそしてoshoの世界に入る以前までは、強く決めていた。

まあ、そこまでの幼少期の辛い体験が、スリーインワンやオーラソーマをする中で癒され、多くの気付きや理解が深まり、さらにoshoと出会い更に自己探求へのワークを深めて行くきっかけとなっているのだけれど。。

自殺への流れの話題に戻ると、3歳の頃しんどかったし、4歳の頃「こんなに長生きするとは思っていなかったな~」って思ってたし、この人生の結論はもう出ている。だから、早く死んで、次の生を生きる方へ早く軌道修正した方が正解だと確信していた。

この人生は時間無駄だと!

でもその宗教では同時に、「自殺をしたら自殺した本人ではなくて、残された父や母や兄弟に、私の自殺の罰が及ぶ」と言う考えがあった。

10歳の頃、「こんなに長く行き過ぎたと思ってからもう6年も経って生まれて10年になってしまった。」と思った。自殺願望は、この頃ピークだった。「早くしないと、無駄な時間だけが過ぎてしまう」と言う焦りもあったので、良くベランダを乗り越えて屋根の上に上がったり、2回の窓の淵に登ったりして、飛び降り自殺を試みていた。

何故かいつも自殺の方法は飛び降り自殺だった。

だけど、この自殺の罪がお父さんやお母さんなど残された人に及ぶのは嫌だった。

この事が気になって、いつも飛び降りれなかった。

10歳が過ぎた頃、新たな考えがやってきた。

「こんなに、何度もチャレンジしているのに、なかなか死ねない。でも、この人生に意味が無いことは明らかだ。意味の無い人生を人が生きるはずが無い。って事は、私が自ら自殺をチャレンジしなくても、その内当然死ぬはず!だから、それを待つ事にしよう。」

って、言う考えで日々を送っていたら、17歳まで生きていた。

「あれから、7年も過ぎて17歳になってしまった。一体いつ死ぬ時が来るんだろう?」

って、思っていたところに、ノストラダムスの大予言と言う1999年に地球が滅びると言う情報がやって来ていたので、「まあ、仮にそこまで生きていたとしても、そこで必ず死んでそれ以上は生きる事は無いから、それに一か八かかけて見よう」と思って、高校の卒業文集には、その事を書き綴った。

先にも少しかいているけど、何故、こんな幼少時代だったかは、25歳を過ぎてからスリーインワンのセッションを中心に、理由が次々と明らかとなり、何度となく開いたファミリーコンステレーション(家族の座)では、先祖から伝わるものまで明らかとなり、現在はもう座を開いても、それに関する事は出てこなくなっている。

後から振り返って気付いた事だが、

私が死ぬは予定だった29歳、

私は、OSHOのサニヤシンになった。

そして、今までに何度も死にたいと思って来たけれど、本当にあの時死ななくて良かった。

生きてて良かった。

産まれて来て良かった。

生きているだけで喜びなんだと、生きている喜びを沢山体験し、それまでの人生では全く理解出来なかった、嬉し泣きと言うものを沢山体験する事となった。。

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